AGA(男性型脱毛症)の豆知識

AGA(男性型脱毛症)の豆知識

AGA(男性型脱毛症)の豆知識

インディアン、頭ハゲない、か?
インディアンにはハゲがいない、という話がある。また、世界でハゲの少ない民族は中国人とインディアンだともいう。まあ実際のところ、おそらくハゲの国家的な統計などはないだろうから、厳密な意味での真偽のほどははっきりしない。確かにハゲたインディアン、というのは見たことがない。モヒカン族の有名なモヒカン刈りというのは、あれは剃っているのである。しかし、あの髪型は部族の証明のようなものだから、やはりハゲては困るであろう。モヒカン型のかつらなんてものもなさそうだし。インディアンが殺した白人の頭の皮をはぐ、といわれているのは、あれはカツラを作るためだったのか?
馬鹿な想像はさておき、ハゲる体質がある程度遺伝することを考えると、多少は民族的な特性があってもよさそうでは、ある。また、食物やらなにやらの生活の諸習慣も髪の毛には影響を及ぼしそうである。そこでインディアンはハゲないとする説の根拠はどこなのかをみてみよう。
まずひとつは、「インディアンは樫の木に馬の尻尾の毛を植え込んだもので頭をいつもたたいている、だからハゲない」
というものである。ちょっと前に「つけて、たたく」という育毛剤のCMが流行ったが、あのデンだというわけである。頭をいつも棒でたたいているインディアン、というのも結構すごい絵だが、たしかに頭皮をたたいて刺激することには、一定の効果がある。刺激で頭皮の毛細血管の血行が促進されることにより、毛を育てる栄養が毛根により多く届くようになるためだ。前述の育毛剤の使用法は、この刺激との相乗効果をねらったものであったわけだ。
また、「インディアンのある部族に代々伝わる薬草シャンプーに秘密あり」という説がある。インディアンの娘と結婚したある白人男性が、妻の部族に伝わるシャンプーを勧められて使ってみたところ、なんと薄くなっていた髪の毛が復活した! おお、そういえばインディアンの髪の毛はいつまでもフサフサしているではないか……という話であ
る。この白人男性はその後、メキシコや中央アメリカ、南米をまわり、インディアンたちから情報を収集するなどして、一般のアメリカ人にむけた製品を開発し、販売もしているという。ここら辺りにやや宣伝のニオイがするが、シャンプー自体は、メキシコやアリゾナ、中央アメリカの植物の油や、昔からインディアンが石けんとして使っていた植物から抽出したエキスなどを原料とするもので、開発者の言によれば、このシャンプーで正しく洗髪すれば十人のうち7人は効果がある、ということである。ただ、これは本人と友人たちが使った結果、という話であり、サンプル数がちと少ないような気もする。しかし、育毛剤の多くが薬用植物系の生薬を含んでいる。この説もあながち根拠のないものとはいえないであろう。
いま挙げた2つの説のどちらも、インディアンの生活習慣に因を求めるものである。ほかにインディアンは自然に密着した生活をしているからハゲないのであって、ハゲこそは文明病なり、という自然賛美思想的な意見もある。もしもそうだとしたら、たとえばオーストラリアのアボリジニとか、自然のなかで生活している人々の統計もとってみなければなるまい。
ただいえるのは、ハゲを必要以上に気にするということ、これはまぎれもなく文明のなせるわざであろうということだ。

バッハはAGA(男性型脱毛症)?

昔、小学校や中学校の音楽室へ行くと、教壇の上に、世界の有名な音楽家たちの肖像画がズラリと並んでいたものだ。
バッハ、ハイドン、ヘンデル、モーツァルトと見ていて、彼らの、その、髪を両脇に垂らしてその端をカールさせた髪型に、
「昔は変わった髪型が流行っていたんだなあ」と思った経験がある読者も多いのではないだろうか。
実は、あの髪はみんな、カツラなのである。
ヨーロッパ宮廷でカツラが流行しだしたのは、太陽王と呼ばれるルイ十4世(1638〜1715)の時代からである。彼は頭髪が薄くなりだしたので、カツラを用いることにした。
もちろん、そこはフランス専制君主の代表であるルイ十4世、ただのカツラでなく、王の威厳をいやますような髪型を考案した。それがあの、脇に垂らしてカールさせる髪型だったというわけだ。当時の流行は王様が作る。宮廷の貴族たちも、それとばかりに王様にならい、髪が薄くなくてもみんなカツラにしたのである。それ以来、このカツラ・スタイルはヨーーロッパ宮廷における正装のひとつに数えられるようになった。彼らの家には帽子かけならぬカツラかけというものがあり、正装の際にはそのカツラに髪粉というものをかけて色つやをよくした。この伝統は、いまではイギリスの裁判制度などにかろうじて残っている。だいぶ簡略化されてはいるが、裁判官や弁護士の正装は
あのカツラをかぶった姿なのだ。なぜかというと、イギリスにおいて裁判官は国王の名のもとで開廷される。裁判所は宮廷の延長線上にあるものだからである。
音楽家のカツラも宮廷がらみだ。昔の音楽家というのは、みな宮廷の貴族や王族をパトロンにしている。したがって、音楽家には、宮廷での正装であるカツラをかぷった肖像画が多いのである。
では、そのカツラの下の髪型は? と気になるところだが、たいがいは普通に伸ばし、カツラをかぷるときには後ろで紐で縛ってひっつめていたようである。
しかし、あれはかぶり続けるとかなり蒸れる。なかには、どうせカツラで隠れるのだから、と、ツルツルに剃ってしまう人も多かったようだ。バッハなども、このツルツル派だったという。しかし、研究家のなかには、もともとバッハはハゲ頭だった、という説を唱える人もいる。何にせよ、まわり全員がカツラ愛用者という宮廷生活は、ハゲの人にとってはまことに具合がよかったに違いない。
……ところで、また音楽室の肖像画の話にもどるが、そういったカツラ揃いのなかで唯一異彩を放っているのがあのベートーベンだ。彼のみはカツラをかぶらず、トレードマークになっているボサボサのヘアスタイルのままの肖像画だった。
これは、彼の生き方に関係がある。彼もやはり時代の子、生活は貴族に頼ってはいたが、しかし、それまでの音楽家たちのように、貴族の雇われ作曲家として要求に応じて作品を作ったりはしなかった。芸術作品として彼が自分の意志で作った曲を、貴族のほうで買いにやってくるという、作り手と買い手の間に初めて対等の関係を確立させた作曲家なのである。したがって、宮廷内部のサロンでの流行の髪型にあわせる必要がなかったのだ。あのボサボサ頭は、傲岸不遜のベートーベンの、いわば生き方のシンボルとしての髪型なのである。
髪の毛と化学工業
映画にもなったつげ義春の名作漫画『無能の人』に、貧窮した主人公が散髪をしながら妄想するシーンがある。無限に生えてくるこの髪の毛を有効に活かす方法はないものか、髪を食べると癌や痔の特効薬になるとかいう、そんな発見をしたら大金持ちになれるのだが、と。
まあ、われわれもふとそんなことを考えたりすることはあるが、この主人公・助川助三の無能の人たるゆえんは、この男、いつか髪の毛を金にする方法を発見したときのために、と、散髪した後の髪の毛を後生大事に押入に大量にため込んでいるのである。どうやら作者はここで、世の役に立たないものの象徴として髪の毛を描いているようだ。
しかし実のところ、髪の毛はちゃんと工業用原料として有効に活かされている。もちろん、だからといって市井のおじさんである助川助3の髪の毛に買い手がつくかどうかは知らないが。
人毛(工業用原料になると、こう呼ばれる)は、システインというアミノ酸の原料となる。すべてのシステインが人毛から作られているわけではないが、日本で生産されるシステインのおよそ7割が人毛を原料にしている(1986年)。硫黄を多く含むアミノ酸の一種であるシステインは、一般的には、人毛をまず濃塩酸に浸し、6〜8時間加熱して加水分解をした後、塩酸を取り除き、中和、還元して作られる。俗に人体を強酸に潰けても髪の毛は残る、といわれるが、さしもの髪の毛も濃塩酸で8時間も煮られては溶けてしまうようである。原料となる人毛は、中国や東南アジア諸国からの輸入に頼っているのだが、原料の供給に不安と限界があり、かつ人毛の入手コストが高くつくこともあって、人毛を原料としない化学合成による製造法に徐々に移り変わっていくものと考えられている。実際に、ヨーロッパの大手メーカーのなかには、人毛の入手コストの上昇に
より生産中止に追い込まれた会社もあるそうだ。
さて、このシステイン、いったいなにに使われているものなのか、というと、パーマ液の第一液坦のものが最も需要が多い。しかも従来使われてきたチオグリコール酸より、髪にやさしく、形崩れせず、パーマがかかりやすい、というのだからなかなかのスグレモノである。髪の毛にもともと含まれている物質なのだから髪にやさしい、というのも当たり前のことなのかもしれないが、金で買われて塩酸で煮られてと、有為転変の流れの果てに、形を変えた髪の毛が最後に人の髪の毛の役に立つ、と思うと、そこにドラマが感じられる気がする。
ちなみにシステインを使ったパーマ液は日本で開発され、世界各国に技術が輸出されて流行しているという話である。黒髪を命と見た日本女性の魂のなせるわざであろうか。
またシステインは、医薬品や食品添加物の原料としてもいろいろなものに使われている。
医薬品としては、肝臓薬、解毒剤、解熱鎮痛剤、疲労回復剤、など。なかでも去痰剤に用いられているのが最も多いとのことだ。また食品添加物としてはパンの発酵助剤、ジュース用の酸化防止剤として認可されている。こう見ると実に世の中の役に立っているものである。
そういえば、あらかじめネズミにシステインを与えておくとネズミに対する放射線の作用が弱まる、という実験があり、注目されたことがある。実際にはよほど大量に投与しないと防護作用はないようだが、放射線の被害で髪の毛が抜けることがあるのを思うと、これも髪の毛が髪の毛を護っている、といえなくもない、因縁深い効能といえる。
なお、パンには刻んだ髪の毛を溶かしたものが原料として使われているという都市伝説が根強く流れているため、大手の製パンメーカーは、発酵助剤として認可されている添加物であるにもかかわらず、一切システインは使わない、とのことである。

AGA(男性型脱毛症)男はどういうときにカツラを決心するか

ちょっと前に雑誌『噂の真相』が、「有名人のカツラ愛用者」のリスト、というのを発表したことがあった。どこがニュース・ソースか知らないが、テレビや雑誌でしょっちゅう見かけるあの人この人の名前がゾロゾロと列挙されていて、ヘーえ、と驚いたものだ。ところが、興味深かったのは、なかで、シンガー・ソング・ライターのS・TとかM・S、評論家のS・Kなど、もう髪の毛が薄いということがわかりきっている人々までもがカツラを使っている、ということだった。
S・Tなどにいたっては、もうほとんどツルッパゲ、といっていい状態で、これがもしカツラだとしたら、いったいどの部分にどうやってつけているのだろう、と首をかしげるほどである。
その記事には、カツラメーカーさんのコメントもつけられていたが、さすがに彼らに関しては、
「どうせカツラになさるのでしたら、もうちょっと早い時期に決断なさったほうがよかったのでは・・・」というコメントになっていた。
人間、特に男性というのは、状況をできるだけ楽観的に、いいほうへいいほうへ考えようとするクセがある。彼らだって、決して自分の髪の毛の状態を知らないわけではなかったろうが、
「まだ、大丈夫だろう」
「ひょっとしたら、いまの程度でハゲの進行も止まるかも」と考えていたのだと思う。そして、もう本当にギリギリ決着、最後のところで、
「やはりこりゃもう、アカン」となって、カツラメーカーに走ったのだ。しかし、なまじテレビで顔が売れている悲しさ、露骨に髪の毛を増やすと、
「あ、カツラをつかっているな」とすぐバレる。しかたなく、
「せめて最後の段階での髪の量のみは保持しているように見せるため」
カツラを使用しているのであろうと思う。何でも決断というのは、早いに越したことはないものだ。
その点、案外有利なのは時代劇の役者さんたちだろう。彼らは常にちょんまげの芝居用カツラをかぶっている。だから、素顔がどういう髪型か、ということはそれほど人に知られなくてすむ。そのため、かなり早い時期からカツラを使用し、気がつかれないでいる人が多いようだ。
最近、現代劇にも進出しはじめた時代劇の人気者K・Sは、まだ2十代のころからのカツラ愛用者であるらしい。口の悪い楽屋仲間が、以前テレビで言っていた。
「わしら、芝居が終わってカツラを脱ぐときがいちばん気持ちええんや。芝居が終わってもカツラをかぶってるK・Sみたいなのもおるけど……」
やはり、人の口に戸は立てられない。

ハゲ(男性型脱毛症)を売り物にしたスター

『裸のサル』などを書いた動物学者デズモンド・モリスによれば、古来、髪の毛を切り詰めることは、男らしさのあらわれであったそうである。
これは、戦闘に関して、髪の毛は邪魔な存在だったからである。肉弾戦が主であったころは、髪の毛が長いと視界をさえぎることになり、また、取っ組み合いになった場合、相手に髪の毛をつかまれる危険性があった。そのうえ、兜をかぶった場合、長い髪の毛はえらく蒸れるのである。
そこで昔から、プロの戦士たちは髪を短く刈って戦場に臨んだのであった(日本のちょんまげももともと戦場でのヘアスタイルから来たことは別項でも述べてある)。そして、そういう戦士こそ、古代においては最も強く、尊敬されたのだ。
そして、それより何より、髪の毛をツルツルに剃った頭は、男性器の形をなんとなく連想させ、セックス・アピールが抜群だった。それゆえに、男としての強さを売り物にした男優たちは、みな頭を剃り上げて、自分の魅力を誇示しようとした。ツルツル頭をトレードマークにした俳優のうち、最も有名なのは、やはりユル・ブリンナーとテリー・サバラスの2人だろう。2人とも、デビュー当時は髪の毛を生やしていたらしいが、作品のなかの役で坊主頭になったとき、それが大変似合っていたために、そのままそれを定着させた。『王様と私』などでのプリンナーのツルツル頭は、セックス・アピールのほかにエキゾチズムも感じさせ、日本にもプリンナー・スタイルというツルツル頭を流行させたほどだった。
また、テリー・サバラスは悪にも善にも強い、一般社会の常識を超越した魅力の表現としてツルツル頭を利用していたようだ。
『バルジ大作戦』のサバラスは、戦場にいながら戦闘に参加しようとせず、軍需品を密売してチャッカリ金を稼いでいる戦車隊長の役であったし、日本でも大ヒットした『刑事コジャック』のタイトル・ロールは、悪人たちにも一目おかれる、単純な正義の味方ではない、頼れる親分という感じのキャラクターだった。
日本で、このツルツル頭を売り物にした俳優といえば、惜しくも物故してしまったが、東映の悪役俳優として人気のあった、山本燐一氏が代表だろう。
大きな体に大きな目、それに頭を剃り上げたその異相は、クセ者ぞろいの東映の悪役俳優たちのなかでも、一頭地を抜いていた。
彼の場合、「1に山燐、2に潮、3、4がなくて5には馬」という撮影所のざれ歌までで
きていたというから(2に潮、は同じ悪役俳優の潮健児氏のこと)、イチモツの大きさもかなりのもので、それと坊主頭の本人の姿がかなりオーバーラップして、イメージ作りに役だっていたと思う。
そういえば、戦前の映画界で最も大きなナニの持ち主とされていた上山草人という俳優も、やはり坊主頭だった。冒頭のデズモンド・モリスの説をもうひとつ紹介すると、人間の唇が赤くなった(実際は皮膚が薄いため血の色が透けているのだが)のは、人間が2足歩行になって、女性器を男性に誇示することができなくなったので、その代用として進化させたもの、ということだ。女性が口紅を塗ってその赤を強調するのはセックスを誘っていることであるという(僕が言ったのではない、デズモンド・モリスが言っているのです、女性のみなさん)。このデンでいくと、男性が頭をツルツルに剃るのも、やはり異性に対する性器誇示の代用?
占いと髪型
手相・観相に造詣が深かった剣豪小説作家の故・五味康祐氏は、ヒッピーのような長髪をトレードマークにしていたが、これは、自分の占いの力を強めるためだった。
彼は、髪の毛は人間にとって、宇宙の気を受けるアンテナのようなもので、これを伸ばしていれば伸ばしているほど霊感が強まる、と信じていたようである。著書『五味人相教室』
(光文社)には、
『男性が髪を長くしていると、この女性的柔弱さをおびてくる。画家や小説家が髪を長くしているのは、こうして女性的感情の移入をはかるためで、ダテに長くしているのではないのです』
と書いてある。女性崇拝者であった五味氏にふさわしい論理だ。もちろん、髪の毛ばかりではない、ヒゲもちゃんとその役目を果たしているという持論であって(前記の著作にはヒゲの濃さは精力に関係あり、と書いてある)、してみると、なんだか薄汚く思えた五味氏のあのスタイルは、ちゃんと本人にとっては理にかなっていたものだったらしい。
ところが、五味氏が占いの参考書にしていたと思われる算命学では、髪の毛があるよりも、ハゲていたほうが感受性は強い、となっている。これは、算命学において最高の聖人とされる、孔子、老子、孟子の3人が、みなハゲていたという伝説があるからだそうだ。だいたい、算命学ばかりでなくどこの観相学でもだいたい、額は広ければ広いほどいい相とされているのである。こと占いに関しては、ハゲは大変おめでたい相とされるのである。
五味氏がハゲでなく、長髪を感受性の強さのシンボルにしていたのは、自分のヘアスタイルに正当性をうたいたいためではなかったか、と思える。さて、占い師はともかく、占われる側においては、髪の毛というものは案外、邪魔もの扱いされる。耳の形や顔全体の形など、占うポイントで大事なものを覆い隠す働きをするからだ。
というより、長い髪を垂らすようにしている女性は、表情の変化を読みにくいため、占い師は情報を得られないのでいやがるのではないか、と思える。占い師は、手相などをじっと見ているフリをして、実は占ってもらっているお客の顔の表情を観察していることが多い。ベテランになると、
「あなたは、現在恋人が……ああ、いませんね。でも、心の底でずっとあこがれている人が……いるでしょう。でもその人には、別に好きな人が……うーん、いまのところいるのかどうか、ちょっとわからなくて悩んでいるというところですね」などと話しながら、お客のちょっとした眉や目の動きで、何を考えているかを読み取ってしまう。上の会話の「……」の部分で相手の顔を見るのだ。特に、こめかみや頬の微妙なピクつきは、本人がしらを切っていても、案外、心の底の本心を白状してしまっていることが多い。
そのようなサインを覆いかくす、ロングヘアは占い師にとっては邪魔以外の何物でもないのだ。
占い師ばかりではない。われわれもまた、日常の対話のなかで、無意識に相手の表情やしぐさから、ある場合には言葉以上のものを読み取っている。ロングヘアの女性が何か神秘的に見えるというのも、実はそういう、表情のサインが隠されるという理由があるのかもしれない。
いやな上役ハゲさせます
東京郊外で、ある暗い夜、歩いていたら小さな神社の前に出た。へえ、こんなところに神社があるのか、と思って境内のほうをのぞいたら、社の近くで、なにやら白いものがうごめいている。何だ? と思ってよく見てみたら、なんとこれが丑の刻参りの女性だったのに仰天した。白装束を身につけて、ご神木にワラ人形をクギで打ちつけている。
「うひゃあ」
という感じで逃げ出して駅のほうまで走っていった。よく、怪談映画などで、後ろのほうから、
「見〜た〜な〜」
といって長い髪をおどろに振り乱して追いかけてくるシーンがあるが、さすがにそういうこともなく、無事駅の灯りが見えたときには本当にホ。とした。現代でもまだ、あのように人を呪うという行為は残っているのだなあ、としみじみ感じいったことであった。
そういえば、『ニクい男、イヤな上司の呪い方教えます』という、呪い術の本(この本のなかには、上司をハゲさせる呪いの方法も記されている)を書いて評判になった稗田・オン・まゆらさんという黒魔術師もいる。案外、呪いは若い女の子の間でポピュラーなのか?
ところで、人を呪っている人間が髪を振り乱しているのは、単に怪奇なムードを出すための演出、というわけではない。
ついこのあいだ、昭和も戦前くらいまで、日本女性の髪はキチンと結いあげられた日本髪が大部分だった。女性と響というのは切っても切り離せない関係にあったのである。たとえ起きがけであっても、家族にも寝乱れた髪を見せないことが女の身だしなみとされていた。
髪が乱れているところを見せるのは、江戸時代のいい身分の女性にとっては、裸体を見られるよりまだ恥ずかしいことだったのだ。浮世絵にはよく、響をほどいて洗っている洗い髪の女性の絵があるが、あれは当時のポルノグラフィであった。その響をほどいてザンバラになる、ということは、それ自体、自分が人間である、という理性を捨て去るということだった。こうして、人を呪おうとするものは、自分が「魔」の領域に近づくことによって、呪いの力を得ようとしたのである。
これは男の場合でも同じことである。平安時代末期の天皇、崇徳天皇は、保元の乱に破れて讃岐の国へ流された。彼は都を呪い、髪を結ばず、ぼうぼうと伸びるにまかせ、ついには天狗となって、日本の悪鬼の帝王と化したという。この場合も、蓬髪(ぼさぼさ髪)が魔の力を人間に与えるシンボルとして働いている。髪をほどく、伸ばす、これらの行為はみな、人が人でなくなるという反逆の呪術のシルシであったのだ。
こういうのに比べればはるかに平和的ではあるが、ベトナム戦争後のアメリカのヒッピー・ムーブメントの長髪や、ビートルズの長髪もまた、体制という機構に反逆する若者のシルシである。髪型はさまざまなイメージを見るものに与える、大きなシンボルなのである。

ハゲ(男性型脱毛症)と好色

岩谷テンホーのマンガなどを見ると、女の子の胸やお尻をさわったり、フロ場をのぞいたりする好色オヤジは、まず例外なくハゲ頭である。アメリカのひとコママンガなどを見ても、このイメージは洋の東西を問わず共通しているようである。
ハゲが好色である、というイメージがなぜできたか、を考察してみると、なかなか一筋縄ではいかないということがわかってくる。
このイメージが本当だ、と主張する人々には、アットウテキに女性、それもOLたちが多い。
「セクハラを受けたときの相手のほとんどがハゲオヤジだった」と彼女たちは言う。しかし、これは、彼女たちにセクハラをおこなう上役の世代というのが、そもそも頭に髪が薄くなる年代なのだから、必ずしもこれをもってしてハゲ=好色、の証明にはならないように思える。
もう少し医学的説得力をもってこれを説明しようとするならば、ハゲるということの要因には、アンドロゲンと呼ばれる男性ホルモンの過剰分泌が大きく働いていることがわかっているのだから、ハゲる男はそもそも精力が強く、したがってその欲求の放出手段としてセクハラに走ったりポルノを読みふけったりする、というのである。だが、この説も考えてみる
とちょっとアヤシイ。
男性ホルモンの過剰分泌が男性をスケベにするとして、そのスケベというのは、女性のお尻をさわったりするくらいでおさまるものなのか?
本当の男性ホルモン過剰人間ならば、いったんこうとねらいをつけたら、最後の目的、つまりセックスをなしとげるまでは満足は得られないはずだ。まず、その女性をモノにすべく、ありとあらゆる手段を用いるだろう。
若い女の子のお尻をさわったくらいで満足する男性というのは、実は逆に性欲が減退してきて、実際のセックスにまで持っていく気力が衰えているからなのだ、とは考えられないだ
ろうか。本当に精力横溢しているならば、ポルノなどのお世話になる必要もないはずではないか。
女の子の胸やお尻にさわって喜ぶのは、まだ本当の性欲が未発達な幼児か、性欲が衰えて、体よりも精神のほうでスケベを楽しむ方向にとやり方を変えた中年男性である。逆に言うなら、若い、本当に性欲の強烈な時期なら、女の子に触れるだけでその性欲がバクハツしてしまって、感触を楽しむ余裕などないはずなのだ。
会社のセクハラおやじたちのおさわりやエッチ話は、本当の性欲が衰えた老人(一歩手前)たちの、過ぎた昔を懐かしがってのお遊びなのである。司馬遼太郎氏は、そもそも農耕民族の日本人は国民全体が精力があまり強くなく、好色も、どちらかというと自分で実践するよりはのぞきや性的いたずらのほうに走る特徴をもつ、といっている。つまり、あのオヤジたちのセクハラは、日本人の特徴というわけだ。大目に見ろとはいわないが、もう少し理解してやってほしいように思う。
結局、「ハゲは好色」というイメージは、「ハゲに悪人はいない」というイメージと同様、セクハラをしてもポルノ雑誌にニヤついていても、ハゲの人は髪がある人に比べて目立つ、という、単純にして少々悲しい理由によるもののようである。

ハゲ(男性型脱毛症)を売り物にした漫才師

昭和40年代後半、テレビの全国的な普及にともなって、日本にお笑い番組のブームが巻き起こった。第一次お笑いブームである。
東京からはコロムビア・トップ・ライト、Wけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや、てんぷくトリオ、ナンセンストリオなど、大阪からは夢路いとし・喜味こいし、若井はんじ・けんじ、まんがトリオなど人気タレントが輩出し、それぞれ持ちネタの流行語を駆使して、日本を笑いのウズにたたきこんだ。
そのなかで、ハゲを売り物のギャグにしていたのが、東京のほうではてんや・わんやのわんや、大阪ではまんがトリオのリーダー、横山ノアクだった。
笑いの世界において、チビ、デブ、ハゲなどの、いわゆる身体的特徴を売り物にして笑いをとるのは決して褒められたことではないとされている。しかし、こういうものに関する笑いはダイレクトにお客に伝わって、反応が実にいい。それに、テレビ時代でなければわからないギャグだけに、画像に乗って、彼らは全国的な人気者となった。
てんや・わんやの場合、てんやがもと警察官といういい体格の持ち主であったことも幸いして、わんやの体の小ささとハゲ頭がいやがうえにも目立った。なにかと言うとてんやがわんやの頭をピシャピシャ叩いたり、ハンカチを出して頭を磨いてやったりするギャグに、観客はもう大爆笑だった。徹底的にわんやの頭をバカにして、最後に、
「あっ、君の頭に毛が生えた!」
「これは湯気だっ!」
などというギャグもあった。もちろん、彼らの笑いは必ずしもそういうサイト(視覚ギャグ)に頼るばかりでなく、本来のしゃべくり漫才でも折り紙つきの実力者だったのだが。それに対し、大阪のまんがトリオは、
「パンパカパーン、今週のハイライト」
という掛け声とともに、その週その週の事件などをギャグにする時事ネタが売り物で、よりアップテンポな舞台だった。そして、3つのギャグのうちひとつは必ずといっていいほど、横山ノアクのハゲを両脇の2人(青芝フック、上岡パンチ)の2人がバカにして笑いをとっていた。
「消防車出動!」
「了解、ウーカンカンカン……」
「ウーウーカンカンカン、ヤカンヤカンヤカン、ハゲチャビン……」といった具合である。ノアクのほうも、ハゲをより際立たせるため、おでこにツヤ出しの油を塗ったり、カールしたつけ髪を垂らしてトレードマークにしたりしていた。笑いにバイタリティのあった時代の象徴だろう。
その後、てんや・わんやはテレビの司会などで息の長い人気を保ったが、昭和60年代になって、若手漫才に押されて人気も下降、わんやが脳軟化症になったりして引退。
まんがトリオは解散後、パンチが上岡竜太郎の名で司会業に転じ、ノックは参議院議員などをつとめて1995年にはなんと大阪府知事戦に立候補、みごと当選するなどして、東西で明暗を分けている。

ハゲ(男性型脱毛症)を売り物にした喜劇人

昭和の喜劇を語るとき、柳家金語楼(明治34年〜昭和47年)の名は決して忘れてはならない名前である。
自らの軍隊経験をネタにした『落語家の兵隊』という新作落語で戦前から大人気者だった彼は、エノケン・ロッパという戦前の喜劇王が、終戦を境に人気を低迷させていったのと対照的に、戦後、落語家というワクを抜けて、映画に舞台に、そしてラジオ・テレビにと進出し、戦後の日本の混乱期に、明るい笑いをふりまいてくれた存在だった。テレビ草創期の人気番組であるNHKの『ジェスチャー』で、水の江滝子とともにキャプテンとして活躍していた姿を覚えておいでの方もあるだろう。
彼の人気の秘密が、親しみやすいそのキャラクターと、抜群の話術、アドリプのうまさなどにあったことはもちろんだが、やはり、トレードマークのあのツルツルのハゲ頭が、ファンに、一度見たら忘れられない印象を与えたことが最大の原因だろう。そういう意味では、まさにハゲが身を助けた人物であるわけだ。
だが、彼はこのハゲにはかなり屈折した思いを抱いていたようだ。それは、このハゲが年をとってからではなく、若いうちからのものだったからである。
彼は大正9年、微兵にとられて、朝鮮半島の羅南にあった守備隊に入隊した。ところが、彼はそこで風土病の紫斑病にかかってじまった。高熱が出て、やがて死を迎える恐ろしい病気である。彼は隔離されて、生死の境をさまよった。ところが、これが実は誤診だったのである。どうやらただの風邪かなにかだったらしい。
もはやないと思った命が助かったと喜んだのもつかのま、そのとき大量に与えられた薬の副作用で、髪の毛がすべて抜け落ちてしまった。まだ2十に満たない若さである。
そうこうしているうち、軍備縮小で彼は2年の兵役を一年で終えて帰ってくることができたが、家族やまわりの人々はさぞ驚いたことだろう。緑の黒髪をなびかせていた美青年が、ツルツル頭になって帰ってきたのだから。
彼は仕事と私生活を完全に分けていた芸能人で、舞台やテレビに出るときは顔中をニコニコさせて笑っていても、いったん楽屋へ戻ると、世の中にこんな不愉快なことはない、というような仏頂面をしていたそうである。若いうちに髪の毛で悩んだことが生んだ2面性だったといわれている。
また、髪の毛がないせいで、彼は常に実際の年齢より老けて見られた。まだ40代のころから、「落語界の長老」などと称されることがあり、これにいちばん腹を立てたという。「長老などと、人をチョーロー(嘲弄)する話だ」
などと、著書には書かれている。「楽屋で石を投げると金語楼の子供にあたる」といわれたほど、女性問題でおさかんだったのも、年寄りと思われたくない、という意識
が働いていたためだろう。そのため、彼はその女性だちと子供たちを養うため、晩年にいたるまで働き続けねばならなかった。
これもハゲのコンプレックスのあらわれとすると、ハゲも罪作りなものである。
なぜ日本人は金髪にあこがれるか?
プラチナ・ブロンド、シャンペン・ブロンドなどと呼ばれる金髪は、遺伝的にいうなら劣性遺伝である。
髪の色は皮膚の色と同じくメラニン色素が作用して決まり、毛細胞のなかにメラニン穎粒という細長い粒子がたくさんあれば髪の毛は黒くなる。このメラニン色素を欠いていると、髪の毛の色は薄くなり、プロンドとなる、というわけだ(もっとも、まったく色素がないわけではない。病気や加齢などにより、メラニン色素がまったくなくなる場合があり、このとき、髪は純白になる)。
昔から、世界の各地方で、最も好まれていた髪の色はこのプロンドだった。やはり金は高貴な色、というイメージがあったからだろう。それに、金髪は黒髪より細くて柔らかく、さわった感じがソフトで気持ちがいいからであると思われる。
日本人にとっても、金髪は男女双方ともにあこがれの的だ。女の子は小さいころ、お姫様の絵を描くとき、必ず髪を金髪にする。金髪、巻き毛、青い眼という3大要素がお姫様の条件になっている。この嗜好が高じて、少女マンガでは、れっきとした日本人なのになぜか主人公は金髪なのである(もっとも、これは髪の毛を黒くベタッと塗ってしまうと画面が重くなるということも関係している)。
男性のほうが金髪にあこがれるのは、オトナになってからだ。歌手の千昌夫氏を見るまでもなく(金髪の奥さんをもらって、金髪の女性と浮気して離婚した)、女性は金髪でなくっちゃダメ、という男性は多い。日本にいるかぎり、かなり難しい注文だと思うのだが、それでも彼らは夢を追い求め続ける。最近流行りなのは、ロシアから日本に出稼ぎにきている女性たちの勤める金髪パブで、いつもおじさんたちであふれかえって賑わっている。もちろん、こういう金髪フェチが多く出現したのは戦後のことである。戦争に負けたその傷痕以上に、その後の占領時代を通して、日本人はアメリカの物質文明の豊かさに徹底的に打ちのめされた。ことに天然色のハリウッド映画で見る、あちらの生活の華麗さにはもう、ただただ口をアングリとあけているしかなかった。
「いつか、文化の面でも経済の面でも、アメリカと並びたい。そして、大型車に乗り、金髪美人をわきに抱えるんだ」
という果てない野望は、当時の日本人の胸の奥に深くふかく、刻みこまれたのであった。
やがて戦後日本は復興していき、いつの間にか、経済力ではアメリカを追い越すまでになった。日本の商社マンたちは、だれはばかることなく、金髪女性をわきにはべらすことができるようになった。ただ、彼女だちと肩を組んで、カラオケで演歌を歌うその姿は、お世辞にもカッコいいとはいえないけれど。
日本人の場合は金髪好み、というよりは金髪コンプレックスといっていいだろう。

飲尿療法はハゲ(男性型脱毛症)にも効く!

世の中は不思議なものが流行るところであるが、一時、究極の健康法と称して、自分のオシッコを飲む健康法が一世を風扉したことがあった。有名スターたちが、
「僕もオシッコ、飲んでいます」
と発言して、政治家がそういうことをやってもだれも真似しないのに、タレントの趣味は何でも真似する人々が、われもわれもと飲尿をはじめた。18金でできた、飲尿用のマグカ。
プまで発売されていた。オシッコのような、いままで捨てていたもののなかに実はすばらしい成分が含まれていた、という考え方が、倹約好きな日本人の体質(?)に合ったのかもしれない。
医学的にいわせてもらえば、オシッコというのは水と老廃物と、吸収できなかった栄養物などが成分である。腎臓でそれは濾過されて、意外に知られていないことだが、そのうちの95パーセント以上の成分は体内に再吸収され、また利用される。ムダをしないようにで
きているのだ。この、残りのたった5パーセントのなかに、そこまで人体に有効な成分が含まれているとは、ちょっと信じがたいものがあるのだが……まあしかし、信ずるものは何とやらで、飲尿信者たちの書いた本を読むと、これで癌から風邪まで、ありとあらゆる病気が治った、ということが書いてある。そして、彼らがよくいう理論に、尿を飲むのは動物の本能だ、というのがある。動物園に行くと、キリンでもラクダでも、みな仲間の尿を飲んでいる。あれは、本能的に、尿を飲むことが体にいいというこ
とがわかっているからだ、というのである。
悪いが、この記述にはちょっと間違いがある。キリンやラクダが仲間の尿を飲むのは、そのなかに含まれているホルモンが原因なのである。生殖期がない人間と違い、動物たちというのは一年のうち、生殖期の間しかセ″クスができない。メスに排卵が起こり、子供ができる準備が整わないと、オスも興奮できない仕組みになっているのだ。
排卵が起きると、メスの尿のなかに女性ホルモンが含まれるようになる。動物たちは、ホルモンの混ざったこの尿のニオイを嗅いだり、また飲んでみて味を確かめ、メスにセックスの準備が整ったかどうかを知るのである。あれはその確認のために飲んでいるのだ。しかし、この理屈は、飲尿はハゲに効かないか、と考えている人には福音かもしれない。
ハゲの要因のひとつに、男性ホルモンの分泌過剰というものがあるのはよく知られているとおり。では、女性ホルモンがたっぷり含まれている排卵前後の女性の尿を頭にスリ込めば、髪が生えてくるのではないか……?
えらいことをまあ、考える人がいるものだが、さる飲尿療法の本を読んでいたら、真剣にこれを実行して効果があった、という体験談が載っていたので、2度ビックリしてしまった。ハゲを治したい情熱には感服する。ただ、その体験談には、どうやって排卵前後の女性の尿
を入手していたか、という、肝心のことが書かれていないのだが……

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