AGA(男性型脱毛症)の雑学 その2

男性型脱毛症

AGA(男性型脱毛症)の雑学 その2

女性の髪には魔力がある

昔むかし、大昔には、お寺の鐘などを鋳造するとき、窯のなかで真っ赤に溶けた鉄のなかに、女性か子供を投げ込んだ、という。人柱と同じようなものだ。
古代においては鐘は人々が時間を知る大事な存在であった。また、他国から戦争をしかけられたようなとき、災害が襲ってきたとき、それを住民にいち早く知らせるのも、鐘の役割だった。その、人々の生活を守る鐘に、魔力が宿ると信じるのは、ごく自然なことだったのである。
したがって、鐘を鋳造するときには、その鐘の精に対し、人身御供を捧げるということも平然とおこなわれていたのである。
そして、その鐘を堂の屋根から吊るすときに用いられたのが、女性の髪の毛で編んだ繩によってであった。これは、現在でも、おこなっている寺があるようである。
もともと、女性の髪の毛は非常に強く、重いものを吊り下げることができる。日本人の髪の毛の強度は世界でも最高のレベルだが、その日本人の一本の髪の毛が、だいたい160グラムの重さを吊ることが可能である。とすれば、重さ3トンの鐘ならば1万8750本の髪があれば吊り下げられることになる。これは、ひとりの人間に生えている髪の毛の本数の5分の1弱の数でしかない。いかに髪の毛が強いものか、おわかりだろう。
もうひとつ、髪の毛の特徴として上げられるのがその弾性である。髪の毛を両端から、同一の力で切れるまで引っ張り続ける実験をした結果では、元の長さから2、30パーセントも長く伸びるということがわかっている。
このように、髪にはわれわれの驚くような力があり、また、男性よりも女性の髪のほうが強い、ということから、女性の髪の毛には特殊な力がある、ということが昔からいわれてき
て、さまざまな逸話が語られてきた。また、このテーマはその後の少女マンガなどでもよく
取り上げられている。
面白いのが、昭和30年代に、貸本少女マンガ界で怪奇マンガの女王と呼ばれていた、さがみゆきの作品『黒髪の死』である。幼いころやけどを負って、頭に髪の毛がなくなってしまった主人公の少女は、母のかたみの髪の毛でかつらをつくり、それをかぶっている。ところが、彼女と恋人を争ういじわるな美少女がその秘密を知り、そのかつらを奪ってしまうのである。
かつらを奪われた主人公は、このような姿を恋人の前にさらす羞恥心と、母への申し訳なさから、川に身を投げて死んでしまう。一方、そのかつらの髪の毛の美しさに魅せられたいじわるな少女は、そのかつらをかぷって鏡の前で見ほれているうちに、動き出した髪の毛に首を絞められて、死んでしまうのだ。貸本怪奇のそのやりすぎ的な描写と、「劇画タッチの少女マンガ」と呼ばれた美しい描線で描かれたキャラクターのミスマッチに、女流作家ならではの髪の毛に対する思い入れが加わった傑作である。
あるべき所に毛なき方
いまの医薬品広告は、いうまでもないことだが、その効能について、誇大な表現を使ったりすることは許されていない。
「万病に効く!」
などという売り文句のある医薬品はインチキということになるから、逆に用心したほうがいいだろう。
しかし、こういう規制のなかった時代、医薬品の広告というのは、あらゆる広告のなかで最もアヤシゲな、トンデモないものの蹟朧していた業界であった。もちろん、そのなかには育毛剤(そんな言葉はなく、ストレートに毛生え薬、といっていた)もだいぶある。
たとえば、明治20年、東京朝日新聞に載った、高橋盛大堂という薬局が発売した毛生え薬、〈玉柳〉の広告を見てみよう。此玉柳は世にめづらしき名方(いい処方のこと)にして、くさ(皮膚病のこと)又ハでき物のあとなど、いかほどひどきはげにてもくろぐろとつやのある毛をはやし又かみうすきはこうく(濃く)し其他わきの毛しもの毛そうじては”はえべきところへはえざる”にぬればかならずこうき(濃き)毛のはえること奇妙也。
いまの薬品広告が科学をうたい、成分やその効果をできるだけ詳しく記載するのに対し、この時代はすごい。
『世にめづらしき名方』だというだけですませてしまい、
『ぬればかならずこうき毛のはえること奇妙』
だなどといっている。「こうき」というのは「濃き」を強めた言い方だろうが、この強調が妙に効果的だ。それは、皮膚病のあとなどでどんなにひどいハゲになっているところでも黒々、ツヤツヤした毛が生えるのなら奇妙といえるだろうが、はたして薬を売っているほうが「奇妙」 (変という意味でなく、すごいという意味)などといって驚いていていいものか。
こういうアヤシゲな広告は明治ばかりでなく、昭和に入っても、まだあった。昭和7年、文藤春秋誌に載った広告。
毛髪速成毛はえ薬 薬名(オルガ毛生剤)世間に毛生薬は沢山ありますが広告ばかり上手でも真にキク薬は稀であります本薬は皮膚に害なくつけても他人に知られずに毛を生やす良薬ですから生え際眉毛ひげ禿頭病、若はげ、其の他男女共毛のあるべき所に毛なき方及び毛の薄き方は最後の試薬として用ひてニッコリ満足する最良の毛はえ薬です。
『つけても他人に知られずに毛を生やす良薬』
というのはいったい、どういうことをさすのか、さっぱりわからない。
それにしても、こういう薬、本当に効いたとは思えないのだが、ちゃんと次々に広告が載って、まさに『世間に毛生薬は沢山ありますが』という状態になるということは、この業界、当時からちゃんと隆盛を極めていたということだろう。
それにしても、『あるべき所に毛なき方』というのは、身に覚えがある人にはギョッとさせられる名文句、今でいうなら名キャッチコピーである。

赤ちゃんは毛だらけ?

『女性自身』という雑誌の人気コーナーに、〈馬鹿ッ母〉というのがある。若い母親たちが、自分の常識知らずぶりをアッケラカンと告白するコーナーで、姑に「落とし蓋を」と言われ、「落としブタ」とカン違いして、鍋のなかに豚肉の固まりをボチャーンと落とした、などというアホらしい話が満載されている爆笑コーナーだが、なかには笑えない話もいろいろあって、ちょっとゾッとすることもある。
そのなかに、赤ちゃんに大人用の養毛剤を使って、皮膚をただれさせてしまった、という報告があった。光文社から出た、馬鹿ッ母コーナーの総集編、『ああ馬鹿ッ母』という本に載っている。
産院で見る他人の赤ちゃんは頭にかなりの毛があるのに、自分の子は生後ニカ月になってもまだツルツル頭。しかも、女の子だというのに……。
心配になった母親が、父親の使っている養毛剤を赤ちゃんの頭にすりこみはじめた。しかも、1日2回、キチンと。そういうところだけきちょうめんな母親だったらしい。
当然というか何というか、一週間ほどすると、赤ちゃんの頭には毛が生えるどころか、赤くただれてあちこち皮が剥けはじめ、その馬鹿ッ母はギョッとして病院に飛んでいったという。もちろん、先生には大目玉をくった。
赤ん坊の成長も個人差があり、一概によその子の状態が参考になるとはいえないのである。それにしても、この赤ちゃん、痛かったろうに、なぜもっと泣くなりわめくなりして抵抗しなかったのだろう。
大人用の養毛剤にはたいてい、皮膚に刺激を与え、血行を促進するためのトウガラシチンキなどが含まれている。大人ですら少しヒリヒリするほどだ。これを柔らかい赤ちゃんの頭にすりこまれてはたまったものではない。結局、このときは4ヵ月目あたりからちゃんと髪の毛が生えてきたというから、まあ、よかったけれど……全国の若いお母さん、しっかりしてくださいよ。
ところで、生後すぐの赤ちゃんに生えている髪の毛は、実はおなかのなかにいるときの産毛の名残りである場合が多い。
お母さんの胎内にいる赤ちゃんの体には、生まれる5ヵ月くらい前では、長い産毛が全身にくまなく生えている。これは、頭も体も、濃さに変わりはない。このころの胎児の写真を見ると、まるで猿人のような顔で、いささかグロテスクだ。この産毛は生まれる直前にすべて抜け落ちてしまうが、たまにはこれが残ったまま生まれてくる赤ちゃんもいる。それも、生まれて数時間か数日で全部抜けるから心配ない。
若い母親にわが子のこんな様子を見せたら、今度は脱毛クリームを塗りつけようとするかもしれないが・・・
宗教上の剃髪
キリスト教の僧は頭のぐるりの髪の毛を残し、真ん中を剃りあげる(これをトンシャという)。普通はあのアルシンド風というかカッパ風というか、あのような剃り方をするが、修道院が舞台となった映画『薔薇の名前』を見ると、トンシャにもさまざまな形があるということがわかる。
一方、仏教僧はすべての髪を剃りあげて、丸坊主となる。最近でこそ有髪の坊さんも増えてきたが、やはり剃髪は出家の第一段階だ。
洋の東西を問わず、宗教者が髪を切るというこの行動には、いくつかの意味がある。
まず、俗世間との差別化。一目でまわりから宗教者とわかる髪型をすることで、自分たちが日常の生活でなく、神仏との生活に入るという決意をしめす、いわば印のようなものだ。
それから、神の前での謙譲をあらわすために、髪の毛を剃る。昔、髪の毛がその人間にとって大切なパワーを秘めた器官であると考えられていたことは先にも述べたが、その大切な器官を剃り落とすということは、罪人に対する、辱めの罰であった。
そしてさらに、髪の毛を剃り落とすことは、性的なイメージを自分のなかから追い出すことでもあった。髪、特に女性のそれが大きなセックス・アピールの役割を果たすことはすでにご承知のことと思うが、精神分析学によれば、髪の毛を剃り落とすことは去勢のイメージにつながる。宗教者たちは、セックスのシンボルとしての髪の毛を失うことによって、神の前での独身のあかしとしたのであった。
宗教者ばかりでなく、ご殷人にも、神への栄光のために髪を切れ、とすすめたのが、聖パウロであった。新約聖書のなかにある『コリント人への手紙』のなかで、彼は、
「自然の道として、男は短髪、女は長髪にするべきである」と説いたのである。
「男が髪を長くすれば、それは彼の恥だと自然は教えているではないか。しかし、女が髪を長くすれば、それは彼女への栄光となる。なぜなら、髪はかぷりものとして彼女に与えられたものだからである」
……男が髪を刈り、女が長く伸ばすという、ほとんど世界中で現代まで続いている風習は、実にこの新約聖書の記述から来ているのである。
いかに性の平等をうたう人々も、では女性の髪型も男性のように統一すべきだ、といわれては躊躇することだろう。すでに2000年にわたって、この習慣は続いてきているのである。もっとも、聖パウロも、女性の長く伸ばした髪が、エロチックに人を誘惑する危険は承知していた。それだから、彼は教会のなかでは、女性はベールのようなものか帽子で頭を覆うこと、という規則を作ることを忘れなかった。この習慣もまた、最近でこそ緩和されてはいるが、2000年にわたりつづけられているのである。

ここまでやるかハゲ=AGA(男性型脱毛症)克服法①

ハゲ=AGA(男性型脱毛症)克服法というものは、古来から考えられてきた。しかし、なおかつそれが人類の男性にとって克服しきれていないのは、それが、
「あるはずのものなのに、失われてしまった」
という、マイナスのイメージを持ったものだからだろう。これが、たとえばツノが生えてくるとか、花が咲くとかいった、不必要かつ不便なものであっても、なにか、
「ないものがそこに生まれてきた」という、プラス思考の働くことであれば、これほどみんなが悩まなくてもすむことだった
のではあるまいか。八重歯だって、あれはまったく不必要なものだが、見慣れるとそれがチャーム・ポイントになったりしているではないか。
それともうひとつ。ハゲが克服できない大きな理由が、それが少数派である、ということである。なにしろ、人口の比率からいえば、ハゲにならない人間のほうが圧倒的に多いのだ。
まず、女性が半分。ハゲなどというのはまだ遠い先の、若い連中がさらに半分。ハゲないやつ、白髪ですんでいるやつがさらにその半分。こう見てくるとハゲという人種は人口全体の12・5パーセントしかいないことになる。少数派はいつの時代でも、差別されるものだ。
そこで、ハゲによる劣等感を克服するためには、また、ハゲの社会的地位を高めるためには、ハゲが一般的、という団体を結成してしまえばいい、ということになる。
日本の光頭会のことは別項で触れたが、アメリカには全米ハゲ頭協会という団体があるという。メンバーはすでに8千人以上で、そこのりIダー、ジョン・キャップスさんは、
『ハゲは美しい』
と書かれたステッカーを愛車(『BOLDI』というナンバーだそうだ。どうやって取ったんだろう)に貼って、全米を講演してまわっているという。
さらに、千年ほど前にはスイスのローザンヌで、〈世界ハゲ頭会議〉というのが開かれたという。世界中から集まったハゲ自慢たちが、
「いかにハゲは優れているか」を力説する会だそうで、この会議のメンバーになれば、いかにハゲで悩んでいる人でもハゲでよかった、と感謝するようになり、髪の毛がある人であっても、
「ああ、自分も何とかしてハゲになりたい」と思うようになるそうである……ホントかね、こりゃ?
ハゲ頭会議の開催目的は、
「若くしてハゲに悩む人をいかにして助けるか」
というものだったそうで、これだけ聞くと、なんとなく育毛法の研究会のように思えるが、まったく逆に、若者にハゲのすばらしさを教えよう!・ というコンセプトで開催された、ということが実にすばらしい。

ここまでやるかハゲAGA(男性型脱毛症)=克服法②

「いかにしてハゲをごまかすか」
というアメリカのマンガがある。ブラックジョークなのだが、その内容というのがかなりエグい。
「ハゲ頭全体に入れ墨をほどこし、髪の毛のように見せかける」
「眉毛を長くのばして上にかきあげ、髪の毛のように見せかける」
「ペットのリスを襟のなかで飼い、そのシ。ポを頭の上にかぶせて、髪の毛のように見せる」
「いっそのこと、人形などをその上にディスプレイし、みんなに「わあ、きれい」などと言
わせるよう工夫する」
…… んなこと、できるか!
しかし、まったく、AGA(男性型脱毛症)の克服については、ここまでヤケクソにならないととてもやっていけない、と思える。
以前体験したことなのだが、JRの新宿駅で、電車に飛び乗り、たまたま空いていた席に腰かけることができた。読む新聞も本も何も持ってきていなかったので、手持ち無沙汰に、吊り広告をながめたり、ほかの乗客は何をやっているか、なにげなく観察したりしていたのだが、ふと、車両のはじっこに座っている中年の紳士に目がいった。
その紳士は、キチンとした身なりをしていた。カバンを足の下にはさみ、手に持った新聞を、熱心に読んでいる。どこにでもいる、普通のおじさん。なのになぜか、そのおじさんはヘンだった。いったいどこがヘンなのか、最初はよくわからなかった。
そのうち、どうも、ヘアスタイルがヘンだということがわかってきた。妙に頭にペッタリと、貼りつくようなヘアスタイルなのだ。さらにじっと見ているうち、それがただのヘンなヘアスタイルではないということに気がついた。
厚みがないのだ。うすっぺらい、布でも貼りつけたのかと思える感じで、しかも真っ黒の、まったく地肌が見えない密度の濃さだ。
見ているうちに、どうにもこうにも気になってきて、しかたがなくなってきた。せっかく取った席であったが、我慢ができなくなって席を立ち、そのおじさんのほうへ、奇妙な髪の毛の正体をさぐろうと移動した。
おじさんの席の前に立って吊り革につかまり、何げなく、を装って下を見たとき、思わずアッ、と声をあげそうになった。
おじさんの髪。それは、ペンキのようなもので、ハゲ頭にただ、色を塗っただけのものだったのだ!遠目に見れば、確かに髪の毛のように、見える。しかし、近くに来てみれば……
ことに後ろから見れば、まるでマッチ棒ではないか。見ると、まわりの乗客がみな、あえてそちらのほうに顔を向けないように努力しているのに気がついた。みな、見ると笑ってしまう、と必死でこらえているようだった。
次の次の駅あたりで、そのおじさんは何くわぬ顔で電車を降りた。遠いかけていって、なぜそのようなことをしているのか、カツラを使わないのか、聞いてみたい気がしたが、逡巡している間にドアは閉まり、そのチャンスは失われてしまった。

ここまでやるかハゲAGA(男性型脱毛症)=克服法③

人間というものは、いかに時代がすすみ、科学が進歩したところで、本質的なところは変わらない。古代の文献などを読むと、つくづくそういう感じがする。
紀元前十年ころのエジプトの文献が発掘されて、解読してみたらハゲ防止の薬の作り方だったそうだ。あの当時から、髪の毛の問題で、人は悩んでいたのである。
……現代の人にも大いに気になるところだろうから、そのなかに記されているハゲ防止薬の製法を書き記しておこう。解読・研究はなされているものの、実際にこれを作ってハゲに試してみた学者はいないようだから、案外、やってみればハゲの画期的治療法の開発になる……わけはないと思うが、まあだまされたにしても、古代エジプト人にだまされたなどは、スケールの大きい話でよろしい。
まず、ライオン、カバ、ワニ、蛇、ヤギをつかまえてくる。それから、それらを生きたまま別々のナベで煮て、油をとる。その油を混ぜ合わせて、できたものを頭に塗る。
これで毛が生えてくるという。うIん、なんか、聞いているだけで体中がベトベトしてきた。 ほかにもこの文献には、白髪をふせぐ方法というのが書いてあり、これは黒い牛から取った血液、亀の甲羅の黒焼き、さらに油で調理した鳥の首、などというものを混ぜて作った薬品が用いられた。あるいはまた、油で調理した子鹿の角、カニの胆汁(あるのか?)、オタマジャクシの干物を油で練りつぷしたもの、猫の子宮のフライなどが髪の毛にはいい、と書いてある。
いくらよくたって、これをいま、食べようという人はおるまい。しかし、なんとなく、効きそうな気も、しないではない……
しかし、不思議に思うのは、これがエジプトで開発され、ちゃんと文献にも残っている方法だ、ということである。
というのは、彼の国においては、髪の毛はみな、剃ってしまうのが普通だったからである。
そして、エジプト人たちはカツラをかぶった。
これは、ナイル付近には害虫が多く、髪の毛を伸ばしっぱなしにしていると、シラミがわいたからだろうといわれている。
なんにせよ、エジプトの壁画などにみられる、オカッパのような髪型、あれはカツラであったのだ。
ひょっとして、そういうカツラをしていたのは上流階級だけで、あの文献は下層階級のために書かれたものだろうか。しかし、それにしては原材料がどれも高すぎるような気もするが・・・ それはそれとして、天下の美女と呼ばれたクレオパトラ、彼女もカツラだったとすれば面白い。彼女とわたりあったローマのシーザーも薄毛に悩み、月桂冠を、ハゲが隠れるからと喜んでかぶっていたというから、カツラとハゲで気があって、2人の仲もむつまじかったのだろうか。……ちょっとツヤ消しの想像ではありますがね。

髪の毛が多いと、こんなに苦労がある!

ハゲ=AGA(男性型脱毛症)の逆の立場にある人。変の毛が多い人の悩み〃というのにも一応ふれておこう。
ところが、なるほど髪の毛が多い人というのは、やはり髪の毛は生えているのが当たり前ということで、あまり気にしていない。それは、髪の毛が多いと思われる人たちに「髪の毛が多くて困ることは?」と電話インタビューを試みたところ、ほとんどスグには答えは返ってこなかったことからもわかる。
とはいえ、いつもいつも頭から離れないような悩みはないにしても、思い出せばやっぱりあるんです。「変が多くて困ること」が。
まず、いちばん多かった答えは、やはり。スタイリングが面倒〃というもの。
とにかく多いとまとまらない! 特に固くてゴワゴワした変質の人など、朝起きたときにバクハツしていると、もう手間がかかるったらありゃしない。
シャワーを浴びるなり、濡れタオルで湿らせるなりした後に、スタイリング剤をつけて、
ブラッシングして、ドライヤーしなければならないのだ。「これだけの時間を布団のなかで過ごせたらと、何度眠い眼を擦りながら泣きたい気持ちで思ったことか……」 (26歳OL)
そして、髪型などにも選択の余地がありすぎるというのも(薄い人間にとってはぜいたくきわまりない悩みだが)、このスタイリングが面倒くさい理由のひとつに挙げられるだろう。
どんな髪型だってできるのが、髪の毛の多い人だが、顔との兼ね合いがある。自分の顔にあったヘアスタイルを求めて、美容院に行くたびに変えるのだが、どれも満足できない。しまいには美容院に行くのが面倒にまでなってしまうことも。
その次に多かったのが、理髪代やシャンプー、リンス代がかかるという答え。
特にシャンプーとリンスは、髪が伸びてくると目に見えて消費量が多くなってゆき、買ったばかりのシャンプーやリンスのボトルがあっという間にカラになってしまうのだから、それこそ、お金が湯水のように流れているような気になるのもしかたがない。
ただし、育毛剤のほうが高いのだということを心して、「持たざる人」にボヤかなければ、なぐさめにも何にもならないといっておこう。
ほかには、″少し洗わないとスグ脂分が出てくる〃 暑苦しい〃というような意見が多く、なかには「頭がデカく見える」やら、「ラーメンが喰いづらい」やら、「映画館でイヤがられる」といったどうでもいいこじつけのようなものしか上がってこなかったトコをみると、やっぱり、「髪はあってもあまり苦にならない」ということか。
ほかに大多数の方から、同一の意見をいただいたが、これこそ「持たざる人」にはヒンシュクを買いそうなので、最後に挙げさせていただく。それは、″ジャマだ!″
という声。電車のなかで人の荷物に髪の毛がひっかかったりすると、本当に、ハサミで切ってしまおうかしら、と思うくらい腹が立つという。
「バチあたり!」という声と「なら、くれ!」という声が聞こえるようだ。

薄いくらいなら剃れ!

前に引用した清水ちなみ・古屋よし編の『OL500人委員会/おじさん改造講座』には、おじさんたちの、おもしろくてかなしいさまざまな生態が報告されているが、や
はり容赦ないのはハゲ、デバラなど、身体的なことに関してだろう。これを読むと、こういう女性たちの視線にさらされているおじさんというのは本当に可哀相だ、という気になる。
●紫電改のプラシで叩きすぎてはげにかさぶたができたおやじを知っています
●残っている毛で回生懸命ハゲを隠していた人が、電車の扇風機にあたって、髪の毛が乱れて、どうしようもない状態になっていた。妙な感じだった。
●営業のナカムラ部長は頭のてっぺんが直径十センチくらいはげていて、社内運動会のと
き部下の子供(3歳くらい)に、「おじちゃんの頭が破れている!」と言われていました。 ……考えてみると、女性がおじさんに対して点がきびしいのは、
「他人に見られている、という自覚がない」ということが最も大きな原因であるように思うのだがどうだろう。
女性というのは、思春期からこっち、常に、「他人の視線」を意識しながら生きている。服装も、お化粧も、何もかも。彼女たちにとっては、人の目を意識して行動する、ということがすでに第2の天性となっているのだ。
ところが、男性にとっては、思考の中心は常に「自分がどう思うか」である。人の目に対する意識がスッポリと抜け落ちてしまっているのだ。そこが、女性たちにとってはたまらない無神経さに感じられるのだろう。
だから、この『おじさん改造講座』で、女性たちに支持されているハゲのナンバー・ワンは、「堂々たるハゲ」なのである。あとに残ったホンの少しばかりの髪の毛をチマチマ大事にしているより、いっそ剃ってしまってスキンヘッドにしたほうが、おしゃれと見えるということだろうか。
これを実行した人が、人形師の辻村ジュサブローさんだ。辻村さんはその作る人形の独特の美学からもわかるとおり、おしゃれに関しても個性的な考え方を持っている。名前も、最初は寿三郎と名乗っていたが、実際の年齢より老けて見えるとわかったとたん、大胆にもジュサブローとカタカナ表記にしたくらいだ。
だから、自分の頭に白髪が目立ちはじめ、頭頂が薄くなりかけているのを知った辻村さんは、思い切って剃ってしまい、坊主頭となった。
最初こそ、異様な感じがするものの、人間は見慣れてしまえばすぐ、それに順応してしまうものだ。いまでは辻村さんの坊主頭は、彼のトレードマークにもなっている。
会社で、頭のあたりに女性の視線を気にしているおじさん、いっそ、剃ってしまうのもテでありますぞ。
歌に歌われたハゲ
『ドレミっちゃん鼻ぺっちゃん、目はどんぐり目、あたまの横ちょにハゲがある、ハエが止まればチョイとすべる、ほんとにハエのすべり台……』
という歌を子供のころ、歌ったことがおありではないだろうか?
子供のころの、こういう、だれが作ったのだかわからない歌というのはいくつもある。それらは口から口へと伝えられ、世代を超えて歌いつがれ、大げさにいえばひとつの文化を形成している。
最近、核家族化のせいか、このような歌を知らない若い世代が増え、この文化伝統も絶えようとしているのは、まことに残念なことだ。
ハゲというのは当たり前のことながら、普通の歌謡曲にはめったに出てくる単語ではない。
しかし、こういった俗謡というか、替え歌では頻繁に登場する。民謡でいけば『ドンパン節』などがその代表だろう。
うちの親父はハゲ頭、となりの親父もハゲ頭、ハゲとハゲとがケンカして、どちらも怪我(毛が)無エでよかったね……
ハゲのもつユーモラスなイメージは、こういう民謡にぴったりだ。
さらに替え歌となると、最も頻繁にそれが登場したのが、戦時中だろう。政府から押しつけられた軍国歌謡の歌詞を改変して、まったく違ったイメージの歌を作ってしまうことで、重苦しい戦局の下の国民はいささかでもウサをはらそうとした。
見よ父ちゃんのハゲ頭、本日赤く輝けば、天地の精気はつらつと……
『大東亜行進曲』
金鶏吸ってる父ちゃんの、ハゲある光り身に受けて、今こそ祈れこのあした……
『紀元2600年』
軍国歌謡の歌詞を変え、さらに父ちゃんという、当時最も家庭で権力のあった存在をハゲ頭ということでからかう、2重の反抗精神がこれらの歌にはある。
ハゲには、重苦しいものを一気にユーモラスなものに変えてしまうイメージの力というのが存在するのだ。このようなパワーは髪の毛のある人にはないものだ。
まあ、そんな堅苦しいことをいわずとも、ハゲはナンセンスな歌には欠かせないものなのである。そういえば、筆者の子供時代にはこんなナンセンス・ソングを口ずさんでいた。
『タコの8ちゃん鉢巻き巻いて、ギュッとしめたらツルリとすべる、あっち行ってツルリ、こっち行ってツルリ、いつまでたってもしめられない』
最後に、明治時代に作られた、『ストトン節』のハゲ・バージョンを見てみよう。
ハゲた頭にハエがとまりツルリとすべってまたとまるすべって転んでまたとまる、この山素足じゃ登られん、ストトン、ストトン・・・ハゲ頭とハエというのはつくづく、相性がいいようだ。

カツラ苦労譚

千円札の夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』のなかに、カツラがもとで美学者・迷亭が失恋をする話がある。といっても、そこはホラ話の好きな迷亭先生のこと。まじめに聞いてはいけません。
ある冬に、山を越えようとしていた迷亭は、道に迷って一件の山小屋にたどりつく。そこには老人夫婦と、ひとりの、髪を高島田に結った美しい娘さんとがいた。迷亭は彼女に一目ぼれをしてしまう。
腹もすいたところであるし、お客様に蛇飯をごちそうしてあげろ、と爺さんが命ずると、婆さんと娘はさっそく蛇飯を炊いてくれる。鍋のなかに米を入れ、その上に生きた蛇を何匹も手づかみにしてほうり込む。鍋の蓋には穴があいていて、飯が炊きあがってくると、この穴からぶうぷうと湯気が立つ。
やがて、この穴から蛇がひょっこり、顔を出した。熱いから顔を出すらしい。見ていると、また一匹、また一匹と顔を出し、とうとう鍋の蓋じゅう、蛇の頭だらけになってしまう。もうよかろう、と爺さんが言うと、婆さんと娘が、ひとつひとつ、その蛇の頭を持ってぐい、と引っ張る。すると、頭と一緒に骨が抜けて、うまい具合に肉だけが鍋のなかに残る仕組みである。
全部蛇を抜いてしまうと、しゃもじをとって蛇の肉と飯をかきまぜ、さあ召し上がれ、という。もともとげてもの好きな迷亭先生、これはごちそうとたっぷりといただいた。
さて、腹はくちくなるし、娘の顔もたっぷり見たし、というので満足してその夜はやすんだ。
翌朝、起きて顔を洗いに井戸端へ出てみると、井戸のところに丸はげのやかん頭がいる。
はて爺さんか婆さんか、と思ってよく見ていると、これがなんと昨夜の娘。おかしいな、昨夜は確かに高島田の髪を結っていたはずだが、と思って見ると、井戸のわきに置いてあった
かつらをとって、かぶって、さっさと家のなかに入ってしまった。
なんでもこの山に住む人々はああやって毎日蛇飯などを食べているから、のぼせが頭にのぼってああいうふうにはげるらしい、と知り、つくづくとこの世の無情を感じて、それきり失恋してしまった、という。
ノンキな話で笑ってしまうが、しかし、現実に、いきなり恋する人がハゲだとわかったら、あなたならどうするだろうか?
ある大出版社に勤める編集者の話だが、彼の奥さんが、一時、薬品の副作用ですっかりハゲてしまった。その編集者は、まるで変わってしまった奥さんの姿に、なぜかエロチックなときめきを感じ、いままでにない愛情の感覚を抱いたという。やがてその奥さんの髪の毛は戻ったが、彼のほうはどうしても奥さんのハゲ姿が忘れられない。家で奥さんに坊主のハゲかつらをかぶせて、うれしそうに眺めているという。
こういう亭主をもつのも迷惑な話だが、案外、女性のハゲというのは魅力的かもしれない・・・
 

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